ナスDこと友寄隆英ディレクターと共に、ヒマラヤを密着した大谷映芳さん。
破天荒なナスDと、一緒に行動できるくらいのタフさを持っている大谷映芳さんですが、どんな経歴を持たれているのでしょうか?
今回は大谷映芳さんの経歴や学歴をまとめました。
大谷映芳のwikiプロフィール
名 前:大谷映芳(おおたにえいほう)
生年月日:1947年4月
年 齢:76歳~77歳 ※2024年4月時点
出 身:神奈川県
大谷映芳さんが70代後半ということに衝撃ですよね!!
とてもすらっとされていてご年齢よりも若々しく見えます。
大谷映芳さんの身長は非公開ですが、180cmはあるのではないでしょうか。
70代の方の身長にしては高いですよね!
大谷映芳の経歴は?
https://mainichi.jp/articles/20190828/ddl/k13/100/011000c
1972年【25歳】テレビ朝日入社
1979年8月2日【32歳】:パキスタン・ラカポシ初登頂
1981年8月6日【34歳】:世界最難関といわれる「K2」 世界初登頂
1986年4月21日【38歳~39歳】:チベットの「クーラカンリ」初登頂
1987年9月21日【40歳】:ネパールと中国チベット自治区にまたがるヒマラヤ山脈「チョー・オユー 」初登頂
1996年【49歳】:ドルポ基金を設立 支援事業を開始
2005年【58歳】:NPO法人 「EARTYH WORKS SOCIETY 」代表
1972年~テレビ朝日入社
http://www.flintstone.co.jp/20031123.html
大谷映芳さんは1972年テレビ朝日に入社、その後「ニュースステーション」を担当しました。
ディレクターだった大谷映芳さんは、世界各地の集落や、高山を潜入リポート。
過酷な海外現場を自ら取材し、秘境VTRを100本以上制作されました。
1979年~登山家として登頂
その後、登山家として世界最高峰の山々の登頂に成功。
2017年に発行された日本ヒマラヤ協会に資料によれば、以下の記録が残されていました。
1979年8月2日:「ラカポシ」(パキスタン・標高7.788m)北稜ルートで初登攀。
1981年8月6日:「K2」(カラコルム山脈・標高8,611m)西稜ルートで初登攀。(世界第2位の高さ)
1986年4月21日:「クーラカンリ」(チベット・標高7,528 m)初登頂。
1987年9月21日:「チョー・オユー」(ヒマラヤ山脈・標高8,188 m)初登頂(世界第6位の高さ)
大谷映芳さんは、数々の功績を残されていますね。
1996年~支援事業開始
http://earthworks-j.com/dolpo/
大谷映芳さんは、1996年に「ドルポ基金」を設立。
大谷映芳が中心となり、ドルポ基金を設立。ネパール(旧王国)の北西、チベットとの国境に接するドルポ地方に対して、「将来、村の役に立つ人間を育てる」という考えに基づき援助活動を開始。
大谷映芳さんは、ドルポ地方に住む子供たちの就学支援金や、医療センター建設・医療品の補充の援助を行っています。
大谷映芳さんは、現在はNPO法人「アース・ワークス・ソサエティ」の代表を務められています。
局員時代に沢山の貧困民族を取材してきた大谷映芳さんは、自ら行動し支援を続けていらっしゃいます。
大谷映芳の学歴は?
偏差値は73あり、神奈川県内でもTOP3に入る名門校です。
大谷映芳さんは、神奈川県出身のため、高校は地元に通っていたということになりますね。
大谷映芳さんは、在学中、山岳部に所属されていました。
早稲田大学のHPにも登山登頂に成功した大谷映芳さんの功績が記載されています。
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